第11回:ありかた

                                 畑中正人

ここ最近、音楽とは人のため場所のためだとつくづく思う。それだけとは言い切れないが、音楽への
判断や距離の質が変わってきている。
音楽とは聴覚だけをただ刺激するだけでない。五感全てに作用するものだ。
自分の音で空間を埋めたいなどと思うのは音楽家のエゴでしかない。
年々自分自身の中で「音楽をやっている」という感覚が減っているのはそういう思いがあるからかもし
れない。 むかし誰かに「あなたは音楽が嫌いなんじゃないのか」と言われた事があった。その時はうま
く答えられなかったが、たぶん音楽を利用して結局自己利益だけ得ようとしているそういう取り巻きが
嫌なだけだったのだと思う。
自分だけの新しい音楽を作ろうとするエゴより、音楽の在り方を常に考えながら仕事を進めていく方が
自分の性にあっている。音楽業界を変えたいなどと思うよりも、信じられる人と堅実なもの作りをして
いく方がはるかに建設的だ。
急激な勢いで音楽の在り方は変わってきている。社会が激変していくように音楽もそのかたちを変えて
いく。 それでも時代を問わず「音」はそこにある。
それを見極めていくのは情報でもメディアでもなく、個人の音楽に対するありかたや接し方だ。
きっとこれからの音楽は様々なかたちになって広がりながら、個人の奥深くへ浸透していくものになる。
大量消費的観念からしか発想されない音楽は弱まっていくだろう。

あるビルのための音楽。ある地域のための音楽。その場所へ通い、そこで働く人たちの話しを聞く。
その場所、その人たちがよりよい環境になるように、それに合ったCDを買ってくるのではなく、微力で
もそこにあった音をこしらえる。カウンセリングに近い手法を取りながらも、別にその音楽を常に流す
ように強要するわけでもなく、必要な時に必要な分だけ使ってもらえればそれでいい。
自分が思い描いていた事 - 音楽がより小さな存在へ。それでいながら、その人のため、その場所のため
に音楽が時々存在する。お金を儲けたり、有名になる事よりもはるかに広がりや可能性がある。
もしかしたらこれが自分が目指す音楽の理想のかたちのひとつなのかもしれない。


                                      2005年4月16日






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