第9回:体内リズム

                                畑中正人

人それぞれ体内時計を持つように、作曲家の中には体内リズムがあると私は思っている。
ちなみに私には好きな、よく使うテンポやリズムがある。
これは作っていくうちに培っていったものなのか、それともはじめからそういうものがあったのか
はわからない。

でも、ここ最近思う事がある。自分が思っているリズムとは本当に「リズム」なのか、と。
つまり自分は規則正しく並んでいるリズムに本当に興味があるのかどうか、疑問を持っている。
さらに言えば自分が聞いているポイントはリズムそのものではなくて、その隙間にある「間」の方
だという事だ。

私は正式な音楽教育を受けてはいない。せいぜい小学校の音楽の時間で習ったような事以外は全て
我流だった。だからバッハを聞いても歴史上、学習上重要な人物だとは思うが、それは西洋人が重要
だと自慢しただけで、自分にとってはたいして重要なものではない。 クラシックの音楽語法は便宜上
勉強しただけ。世界中で売られているほとんどの音楽が西洋音楽のシステムを使用している現状で、
なぜそれらだけが「音楽」扱いされているか子供の頃から疑問だった。

かといってそれに反発しているのかといえば、そうではない。ロックが好きだし、別に巷の音楽を全
否定するわけでもない。それでも、他のものもあってもいいんじゃないの?というところから派生し
ているわけだが、それを現代音楽とか実験音楽とか言われるのもまた何か変な感じがする。

話がそれたが、そういった活動の中で自分の中の「体内リズム」はこういうものだ、という事がはっき
りしはじめた。

・・・・・・。
つまり、ないんです、「リズム」が。
(これは西洋音楽でいうリズムという定義ではないという意味で)

だから打ち込みを始めたり、エレクトリックなサウンドを使っても、どうしてもテクノとかクラブとか
そういうものにのめり込めなかったのは、こういう事かと。単に、クラブに行くと何か音が大きいし、
けむいな(すいません)、とかそういう事への反発だけではなかったんだなという事に、恥ずかしなが
ら最近改めて気付いたわけです。

はじめから自分の体の中にはそういう「リズム」はなかった。
それを再認識したとたんに、妙に気が楽になるのは何故だ。

リズムがある音楽を聞くのは好きだ。「作れ」と言われれば、それをこしらえる事もできる。
だが「それが本当に作りたいものか?」と言われると、答えに困る。

きっと、どちらかというと鼓の「ポン」という音を叩くまでの「間」、もしかしたら自分の体内リズムは
あの感覚に近い
のかもしれない。

仕事としてはどんなものでも、どんなリズムでも作れるという事が武器だと勝手に思っていたが、
そんな仕事のやり方も変えていく時期にきているかもしれない。

みなさんの体内リズムはどんな形をしていますか?

                                       2004年7月9日







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