第2回:ノイズという手段 1

                                  畑中正人

作曲を仕事にしようと思いはじめた高校生の頃、一番の興味はノイズの合成だった。
いわゆる「雑音」と呼ばれる類いの音から「環境音」まで全ての音に興味があった。 当時は既にHIPHOP
が日本でも知られはじめ、その音楽の手法と同時にサンプリングという言葉も当たり前になりつつあった。
当然はじめてヒップホップを聴いた時は驚いたけれど、それよりもラジオでアジアの現代音楽を聴いた時
のショックの方が大きかった。即興性の強いリズムに変則的なメロディー、終始流れている低音の持続音。
それに加えて聞こえてくる野外ステージの周辺のノイズにラジオ自体のノイズ。もしかしたら作曲に本当
に火が付いたのはこの時だったかもしれない。演奏者たちの名前もわからなければ、作曲者の名前もわか
らない。でもそれ以上にその音楽には底知れない力があった。すっかりその楽音とノイズの総体的な音色
に魅せられてしまった。それ以来、シンセやテープレコーダを使ったノイズの合成や研究に増々のめり込
んでいった(ただし当時サンプラーはまだ高価だったため入手できなかった)。

少なくともその時はそれらの作業そのものが「作曲」だった。音符や楽音を譜面で繋いでいく以上に魅力
があったし、自分の耳が変化していくのがたまらなく面白かった。

と同時に独学ではじめたピアノの演奏にもその影響が出始めた。当時はとりあえず弾きたいと思った曲の
譜面を入手し、ひたすら何度も弾いて覚えるというやり方をしていた。片手ずつ練習する暇はなかったの
ではじめから両方の手で弾いて練習していた。ジョン・レノンを弾いた時もあれば、ビル・エバンスに手
を染めて指をかきむしるくらい上達という壁にぶち当った事もあった。最終的に、自分が不得意な運指を
何とかするため自分で練習曲を書いた事もあった。その頃にはかなりいろんな音を押さえられるようにな
っていたが、先述したノイズにのめり込んだ影響で押さえる和音に「不協和音」という手段が増えた。
その流れからひたすら勉強していた「楽典」に違和感を感じはじめたのも丁度その頃だった。あれはして
はいけない、こういう和音の組み方は間違いだ、この和声では機能がない。そんな規則だらけの「楽典」
が何か「校則」のようなものに思えてきて、苛立っていた。

こういった状況が同時多発的に起きて、それまで作っていた音楽が一気に違う方向へと進んでいった。
ノイズや楽音、規則への反発という想いが入り交じった得体の知れない音楽へ。

でも当時まだ方法論さえはっきりとしていなかった自分の音楽をどう説明すればいいのか、さっぱりわから
ないまま、ノイズを作曲のひとつの手段として音楽を作り続けた。

音楽を作る上でノイズの定義とは何か、そして何故自分はそれほどまでにノイズにこだわっているのか。
そんな迷いの中で今までと違う価値観を見い出したのは、高校を卒業し札幌に移り住んだ後だった。
    

                                      2004年1月26日





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