第1回:音楽との出会い

                                  畑中正人

作曲を仕事にするようになってもうすぐ10年。そもそも作曲を始めた真のきっかけは今となってはわか
らない。本当にある日突然作曲をしたくなった。気付いた時には自分で勝手に音楽の勉強を始めていた。

それ以前に「ものを作る」事は好きだった。新し物好きで、歌う事が好きで、やたらと手先が器用な父親
と文学と絵が好きな母親からの影響が大きい。音楽との最初の出会いは父親が作ったアコースティック・
ギターで遊んだことだったし、こうやって文を書く事も母親の影響だったろうし、とにかく両親の存在な
くしていまの自分はない。そしてもう一人、小学校の担任の先生との出会い。とにかく何でもやらされた。
勉強やスポーツはもちろんだけど、いきなり学芸会でリコーダーのソロをやらされたり、放送部員として
当時
まだ珍しかったビデオカメラでの撮影を仕込まれた。音響や照明のチーフもやったし、運動会の応援
団長までやらされた。ほぼ毎年のように新しい事に立ち向かい、そこで得た知識やスキルはいまでも役に
立っている。その中でも5年生の時クラスの生徒全員でやった合奏はいまでも記憶に残っている。忘れも
しない「マイアミ・ビーチルンバ」と「オリーブの首飾り」。当時の子供にしてはかなりの難曲。それも
かなりマセたアレンジだった。当時演奏は得意だったけれど、譜面は一切読めなかったし絶対音感みたい
なものもなかった。でも、それでも音楽はできるんだ、その事を教えてくれたのは他でもない担任の先生
だった。

それでも作曲に目覚めるのはその後、中学2年生を過ぎたあたりだった。それにしたって特別な音楽の知
識があるわけではなかったし、好んで聴いていたのも日本のポップスばかりだった。それでも、ある日突
然譜面に向かい出した。単音しか出ない小さなオモチャ・キーボードを武器に変テコな音符を並べていた
のが、いつしかバイトでシンセやリズムマシーンやミキサーを買い漁るようになっていた。そして高校生
の頃には「作曲を仕事に」これしか考えていなかった。もちろん才能があるとも思っていなかったし、音
楽で何か自己表現ができるとも思っていなかった。とにかく、一番むいているのはこれだろうと勝手に決
めつけていただけだった。いま思えばこの勘違いが後の人生を決めたのは確かだ。

いずれにしても、自分の音楽の構造、音色感など諸々の要素の8割は生まれ故郷で形成された。

                                       2004年1月25日






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